YAMAHA 2型 鍵盤修理~納品まで

今回は、鍵盤修理です。
今回も、写真は大変少ないです。

白鍵盤が無い状態。恐らく象牙を、業者が取ったのだと思う。

鍵盤

木部の下地処理をしっかりやった後に、鍵盤上面を接着。
余分な個所をヤスリで削って整えていった。

鍵盤加工

その後、全てのパーツを組み立て、外装を磨いた。

外装は傷も多く、くすんでいたが、お客様の感性を考え、塗装はそのままで、磨いて仕上げることにした。
塗料はカシューで、えらい大変だったが、それなりの風合いに仕上げられた。

外装作業と同時に、調整をしていった。
いいタッチを出すのに苦労しなかった。
調律もしやすく、整音もしやすく、これまでの作業の大変さに比べたら、仕上げが非常に楽だった。
ヤマハと同じ日本人だからなのか、大変いいタッチ、いい音、いいバランスで、馴染みやすく、いろいろな曲を楽しみたい楽器になった。

完成 工房

このピアノは我々以外誰にも触れることは無かった。お客様も興味のある人に弾いてもらってくださいと仰ってくださったが、残念ながら日程的に難しく、7月に出ていった。

別の日、お客様宅へ伺うと、すっかりそこの住人になっていた。いつもの事だけど。お客様宅
その後、4か月がたつが、お客様は大変気に入ってくださったご様子。時よりメールでピアノの変化などの感想を教えてくれる。

今回の仕事は、古くてきちんと作られている国産のアップライトピアノを、いい音いいタッチになるよう、改造は一切施さず、きちんと直してお売りするというもの。
実はこのような仕事は非常に少ない。なぜなら高価になり、販売しずらくなると考えてしまうからだと思う。
お客様は恐らく、ブランドなどにあまり偏見が無く、ご自身の感覚で好きなものを選ぶことが出来る方なのだと思う。今回このような仕事をさせていただき、いろいろと学ぶことが出来た。お客様には大変感謝している。
また、大正末期から昭和初期の世相や、産業革命から現在までの、物づくりの変遷などを改めて想像してみるいい機会にもなった。

今回も大変な仕事だった。でもこれから時代が進めば、物は古くなるのだから、もっといろいろあると思う。

YAMAHA 2型 アクション修理

アクション修理について書きます。
写真撮り忘れだらけなので、言葉で補います。

今回も全て外し、センターレールの確認からです。ネジバカは直しました。
アクション作業風景

このヤマハ、ウィペンヒールクロスが無く、鍵盤のキャプスタン上面にクロスが貼ってあるタイプ。日本、アメリカ、フランスのでよく見るけど、ドイツのでは見たことが無い。

ウィペン

ウィペンフレンジの接着の確認。
一つとれていたのがあったので、全て外して付け直した。

ジャック外し

ジャックフレンジ接着

バットスプリングの交換。今のバットよりも寸法が小さく、交換不能な為、加工した。

バット加工

バット加工②

左が交換前。コードもスプリングのかなり細い。
このピアノは、ネジが少なかったり、木材が小さめだったり、支柱がこの時代のピアノの割に細かったりと、何かにつけて材料少な目にしている感じだった。オーディオの理屈からしたら、余計なものが無い方がいい、とも言えるし、問題ないのかもしれないけど、普段見慣れている物とは違うだけで、ちょっと否定的な気持ちになる。でも要所はしっかり押さえているのは分かる。

ハンマー オリジナル

ここからは、画像無し。ダンパー交換。初めから欠損していて、新しく加えた。
フェルト類は全て交換し、ワイヤーは磨き、ダンパースプリングも交換した。

ダンパーの欠損

 

 

ハンマーヘッド。形からアメリカ製と思うようなものだった。リベットの方法も、貫通させてから開いて止めるのではなく、ねじって止めていた。
これも写真撮ってない。ハンマー横から

鉄骨も、ハンマーも、どこかアメリカを感じる。ハンマーはオリジナルではないかもしれないけど。
因みにハンマーの角度が上向きぎみだったので、交換した時に補正した。お客様の好みの音を考え、レンナー製に交換した。

次は、鍵盤について書きます。

 

YAMAHA 2型 本体作業

工房は前回のプレイエルと、その前のホルーゲルがあまりにも大変だったため、半年から1年も完成を待たせてしまっているお客様がいてご迷惑をかけている状況です。今回から推定、昭和元年~4年製のヤマハ2型(85キー)の修復過程をお伝えします。

もう5年以上前に、ある工房で処分される直前だったところ、たまたま妻が居合わせて引き取ったピアノ。私よりもピアノに詳しいお客様にお伝えしたところ、是非購入したいと仰ってくださり、修復、販売することになった。

2型正面 縮小

 

修復前の音は、以前とりあえず記録した。

YAMAHA 2型 修復前

恐らく象牙だったのだろう。鍵盤上面が剥がされて、木部がむき出しになっていた。

鍵盤 鍵盤蓋ロゴなど

 

弦に関わる箇所では、ピンブッシュが無く、プレッシャーバーが大きく、弦が少し細めで、
アメリカのピアノ、特にスタインウェイを想起させるものがあった。
この頃のヤマハは、ベヒシュタインのシュレーゲル、山葉直吉、大橋幡岩、河合小市が在籍していた時期に近く(もしかしたらまだ在籍していた)、アメリカの影響を受けているだろうこの設計には、少々意外な感じだった。恐らくその前からある型なのだろう。
因みにアメリカのピアノから、ドイツよりはイギリスやフランスを感じる時が多い。

正面内部2

 

支柱が丸いダボで接続されている(写真下の小さな〇)。底板(写真上部)が底面を全て覆い隠していない。

底板、支柱の〇ダボ

 

脱弦の作業中。

脱弦作業

 

鉄骨を外し、諸々確認。高音部の処理が丁寧。

最高音部 駒など

 

鉄骨リブ部の駒の切り欠き。半円状になっていた。初めて見た。

高音部駒の切り欠き

 

駒ピン磨き。かなり細いピンが使われていた。ピンの一部は交換した。

駒ピン磨き

 

このピアノ、いつものピアノに比べて、材料が少ない。腕木を支持しているマイナスネジ、いつもは4つ使われているが、3つしかない。

低音部側内側

 

ピンずるがひどかった箇所は、ダボを入れて、新規に穴開けをして対処した。合計約20か所はあった。

ピンダボ

 

鉄骨を外した後、響板を叩くとあまりいい音がしなかった。調べたら底面部で響板が一部剥がれていた。

あえてしっかり剥がして、接着剤を流して、クランプした。接着後、いい音が出るようになった。

底の響板接着

 

掃除や磨きをして、鉄骨を合わせをした。

弦を外す前、ピンブッシュが無く、ピンが少し傾き鉄骨穴と接触していた箇所があった。これを解決するために、ほんのわずかに鉄骨が底板側になるよう、ピン板下部と鉄骨の間に薄い化粧板をかませて、少々強引に鉄骨を合わせて、ネジ締めをした。

鉄骨合わせ

 

オリジナルを尊重し、ピンブッシュは使わずに張弦した。

張弦後

こう書いてみると、サラっとやってのけたように感じるが、結構痺れる判断決断があった。特に鉄骨合わせでは、ほんの0.5mm鉄骨を下にしたかったのだが、なかなかうまく行かず手こずった。何度も上げては下げてを繰り返した。

ただ、一つ安心だったのが、支柱の造り。ここにいい材料を使い、しっかり理にかなった構造だったら、アップライトはほぼ間違いないと思っている。因みにこの支柱は、上が太く下が細い。大橋さんがらみのピアノでよく見る設計。

支柱掃除

 

次回はアクション関係について書きます。

 

 

 

 

 

 

 

Pleyel AL アクションの簡単な説明と、修理その①

今回はアクション修理について書きます。

プレイエル社設計、シュワンダーが製作したアクション。(ハンマーとシャンクを交換後に撮影)

アブストラクト機構 横から

 

鍵盤のウィペンがつながっている、アブストラクト方式。

アブストラクト機構 接続部拡大

アブストラクト機構 正面から

 

この1952年製のALは、100年以上前と同じ、ハンマーのセンターピンが各セクションで一本の方式を取っている。(小型の機種では途中変更もあった)

作業前ハンマー  ハンマーフレンジ

プレイエルだけは、モダンピアノになっても、この横につながったタイプを採用し続けているのには、何かしらの訳があるのだと思う。
理屈上、ハンマー軌道は全て同じになる。ただ、現実、これだと、いろいろ問題が出てくる。また、問題が出たときに対処しずらい。

 

作業風景。各項目を診断、測定し、ばらして修理していった。

アクション作業風景

 

ハンマーレールを整えていく。そもそも構造が弱いため、かなり痛んでいた。

レペティションレギュレチングスクリュー磨き

 

ドロップスクリューを磨きながら、レールの痛みに気が付いた。所々ヒビが入っていて、スクリューが緩んでいた。全て外して、接着補強して対応した。
(余裕が無くて作業写真を撮り忘れた)

レペティションレールの破損2

レペティションレールの破損

レギュレチングボタンパンチングクロスの交換

レギュレチングボタンクロスの交換

ダンパーレールのカンナかけ(作業写真無し)

ダンパーガイド 中高音部

 

ジャックのレバーのこすれ直し。センターピンは曲げずに、ジャックのサイドを削って対応した。紙2枚隙間があればなんとかなると思う。本当は真ん中にしたいけど、。

ジャック左右の悪さ

 

ジャックやレバーに黒鉛を塗った後、レペティションレバーカパリングの交換をした。

レペティション受けスキンの交換 Before after

 

これを進めていたのは、2024年8月頃。コロナが明けて、普通の調律仕事も増え、他に待たせてしまっているお客様の仕事も平行して進めていた。
助けてくれた仲間の技術者が多くて、本当に助かった。この文章を書きながら当時を思い出すと、かなり無理をしていたと思いだし、きつい気持ちになってしまった。

次回は、ハンマー交換を書きます。

Pleyel AL 塗装作業

今回は塗装作業について書いていきます。

セラックで塗られていたので、それでいくことにした。またそうするしかなかった。
予算、作業環境、仕上がりなど考慮して、セラックを選ばざるしかなかった。
黒ラッカーも考えたが、作業中に出るシンナー臭で、近隣に迷惑になる。作業者も、工房が狭い為、恐らく中毒になっただろう。

セラックにしたのはオリジナルにこだわった部分も当然ある。
参考にしたのは、本を数書、ネット動画、
更に名古屋の職人さんに電話で質問したりして作業していった。貴重な時間を割いてくださって本当に感謝している。特に黒いセラック作りに関しては、いいヒントをくださった。

リストリーアンティーク
https://www.restoryweb.com/

セラックニスで塗装されていたが、写真のように、高音域は日焼けして、すっかり色も塗料も落ちていた。
ペンで書いたような線は、推測だが、過去に(少なくとも50年前)にオーバーホールされた時に、塗料が抜けた隙間を他の塗料で埋め、、、
周りのセラックはその後抜けていって下地が出てきて茶色になり、後から入れた他の塗料だけが、線のように残ってしまったのだと思う。

塗装 高音側板
下地をペーパーでひたすら研いで整える。

本体研ぎ1

そのあと、黒セラックでタンポ塗りを繰り返ししていく、時間を開けながら50回はやったかも。
塗装は失敗と迷いの連続だった。黒いセラックを自家製で作ったが、どうも混ざり切ってなく、塗り終わった後乾ききれない事が多く、白い曇った仕上がりになってしまったりした。
専門家に聞いたら、日本には黒セラックは無いらしく、黒とセラックを混ぜてからしばらく置いた方がいいと言われた。その通り、完璧ではないけれど、かなりましになった。

側板塗装作業

大屋根。上面の板が剥がれかけていたため、接着剤を流してはクランプしていった。恐らく内部の心材も接着剥がれを起こしていると思ったので、大屋根を立ててエポキシを流したりした。(写真にはない)

突板剥がれの補修4

 
裏面はとりわけひどく、下地をサンダーで研ぎ、そのあとカンナで平を出していった。

大屋根研ぎカンナかけ

 
夕飯を食べた後、裏面を塗って、乾いた日中は表面を塗っていった。
セラックはアルコール系の塗料だが、作業最中に酔っぱらった感じになった。フルコンは大きいと改めて感じた。

大屋根裏塗り開始

 
鍵盤蓋。オリジナルはこんな感じ。全ての外装でそうだが、予算、時間などを考え、下地を完璧に整えず、進めることにした。

外装 鍵盤蓋 内部 正面

 
プレイエルは多くの機種で、鍵盤蓋が親板と擦れてしまう。サイドをカンナやヤスリで2mmは削った。

横ずれ加工 低音

 
塗り終わって、ロゴのマスキングを剥がしていく。

マスキング剥がし

 
剥がし終えたところ。剥がしたマスキングをテーブルに貼ってみた。

マスキング剥がし後

 
前屋根の前框と当たるところはかなりボロボロだった。さすがにこれだけひどいところは、接着剤と木材、パテを使って整えてから塗った。

前屋根の破損

 
仕上げ作業は納入後にも行った。(東大先端研、ENEOSホールにて)

本体塗装仕上げ

 
定期メンテナンス時にも塗り重ねていくつもり。次回はアクション関連について書いていきます。